1903 ねんどろいど ヨル・フォージャー
ホビー天国2にいたヨルさん。
最近うんざりするほど「ChatGPT」という言葉を聞く。
アカウントを作れば誰でも使えるChatGPT。使ってみると確かに凄い。
あまりにも自然な回答は,騒がれるに値すると納得する。
ChatGPTは,5兆語ものインターネット上の言葉を学習し,
直前の単語に対し最も確率の高い次の単語を選び,繋げて文章を作っている。
考えていたら,自分とChatGPTの何が違うのだろうとわからなくなってしまった。
現在のChatGPTが持っているのは2021年までの情報ということだが,5兆語の単語。
私が持っている情報はChatGPTに遠く及ばないというのに,
私が紡ぎ出す言葉は,多分ChatGPTと同じく確率的に良さげな順番で単語を並べているだけだ。
それを基準ぶれぶれの大脳活動で正しい確率も分からずにやっている。
自分が人と会話をするときを考えると,
言葉はすらすらと出てきて,一語一語きちんと吟味されているとは到底思えない。
だからきっと,個性もなければ面白くもない,誰が話しても似た感じになる会話しかできていない。
いつ聞いても同じ話題を繰り返しているようにしか聞こえない某公共放送のニュースのようだ。
私という人間が発する言葉に個性があるとしたら,
手持ちの単語の偏りと,「確率的に良さげ」なアルゴリズムを気分や相手によって使い分けていること。
それくらいではないか?
要するに,手持ちの単語数が圧倒的に少なく偏っているのに,
良さげな確率の言葉を並べているだけの私はChatGPTに遠く及ばない低品質ってこと。
自分の存在価値を見出すのが難しい。偏り即ち欠落が個性の主軸って。
私が持っている言葉をインプットしたChatGPT的システムを作って
それを私にすれば良いんじゃね?
そこまでする価値が私の思考にあるとも思えないので,
もう単に肉体労働してれば良くない?
あぁ,上記内容に関するご心配とかお説教とか無用ですので。

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