2011年4月28日木曜日

[Pinky:st.] 19番に26番の服

ピンキーストリート,うちにいるのはPK019のみ。
2010年1月25日の記事
1体しかないので着替えさせることもなかったのですが
秋葉原にはばら売りパーツが色々ある。
昨日のキサラの服を買ったYellow Submarineさん(ラジ館4F)
ピンキーパーツを眺めにによく寄ります。
買ったことはなかったのですが,
ラジ館なくなったらと思って思わず一つ(^^;。


ちなみに,ラジ館は1号館,2号館に分散して移転,
殆どが新しいラジ館へ戻って来るようですね。
ラジオ会館の一時移転先が明らかに 1号館と2号館が6月オープン
何と嬉しい。
やっぱりラジオ会館は特別なビルなのだと感動しました。


↓ 19番こと歩ちゃんのデフォ服姿。


2011年4月27日水曜日

[JeNnY] お出かけキサラ


もうすぐラジオ会館が無くなってしまうと思うと,お気に入りの店がどこへ行ってしまうのか心配で,度々うろついてしまいます。Yellow Submarineさん(4F)はお気に入りで必ず入る店の一つですが,ここで委託販売されている NEW PATTERNさんの服も,もう気軽に買えなくなるのかしらとか思って,思わず買ってしまった。。。


長らく着せ替えをしていなかったなでしこに着せようと思ったのですが,彼女の長い黒髪は,この黒いボレロには重すぎたので,急遽キサラに。

ボレロとバッグとブーツは momoko DOLL ミラクルパーティガールのです。



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2011年4月26日火曜日

[ねんどろいど ぷち] 種島ぽぷら



『WORKING!!』9巻 初回限定特装版
“ねんぷち種島”。

小学生のように小さい17歳!なので
ねんぷちにピッタリ?






玩具にされる分厚いポニーテールもそのまま(重い!)。




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2011年4月21日木曜日

リカストラップ 人吉・球磨限定 おひなリカちゃん

きじ車を買った土産物屋。
私は存在に全く気づいていなかったのに,
父が「おひなリカちゃんがあるよ」とわざわざ教えてくれるし,
思わず買ってしまったではないか(^^;!

2月1日~3月31日,人吉・球磨地方一帯でひなまつりが行われます。
街中いたるところで雛人形が見られお祭りムード。


こんな大きなお雛様は初めて見た。

ここから顔を出して写真撮ってくれと言う両親に驚いた(^^;。
(二人とも70代半ば。)

中身はよくあるリカストラップです。
以前の記事にある ルーテル学院中学・高等学校リカちゃん と同じ。
こちらはストラップの金具を外していますけどね。


こうしてモノは際限なく増えていくのであった…。


2011年4月19日火曜日

ご当地キティ

秋田限定なまはげキティ。
2010年10月,秋田駅のNEWDAYSで。
黄色いリボンの青鬼さんの子もいました。


熊本限定キジ車キティ。
2011年3月,球泉洞の売店で。
ちっちゃなきじ車があまりに良くできていたので
思わず買ってしまった…。
きじ車
おてもやんキティはかなり昔に買ったもの。
ずっと持ち歩いていたので文字が消えかかっています。


何となく集合写真。
なまはげキティだけ首が回ります。
機長キティは,JAL50周年の記念模型を機内販売で買ったとき
特典でついてきたもの。→ [模型] JAL B727-100


2011年4月18日月曜日

きじ車


熊本に伝わる郷土玩具。
きじ車,きじ馬とも言います。
震災のあと,地震酔いを引きずって4日ほど帰省したとき,
これを見て何だかとても気持ちが和んだ。
だから,連れ帰ってきました。



一緒に鍋敷きも。



置く場所がないし,一番小さいのを。
これを買ってきたクラフトパークには
日本各地の玩具が集められていて圧巻でした。


クラフトパークに展示されていたきじ車と花手箱。
きじ車は男の子,花手箱は女の子へ贈られます。

ずっと熊本独特のものだと思っていたら
九州各地に見られる玩具だと知ってびっくりしました。
みんな可愛いかったです^^。


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2011年4月13日水曜日

起き上がり小法師


「おきあがりこぼし」って,底が円くて重りが入っていて,倒したら起き上がる玩具を指す普通名詞かと思っていました。でも本当は福島県会津地方に伝わる郷土玩具だったのですね。
生まれてこの方,福島県とは全く縁が無かったので知りませんでした。昨年末,この子をお土産にもらって初めて知りました。
まるで震災を忘れるなとも言いたげに,1ヶ月目の11日夕刻から余震が多発。
一度治った地震酔いも復活しました。
2ヶ月前の私なら,震度3なんて大した地震ではないと思ったことでしょう。
今は震度1でも大したことある地震だと言い切ります。
揺れが長いこと,頻繁であること,これが怖さと不安の原因になり,平衡感覚を蝕む。
大阪府で阪神淡路大震災を経験したときには,ここまでの怖さはわかりませんでした。
心も身体も元気だった。
あの時は一年後になっても余震を感じていたのに,地震酔いにはならなかった。
今より17歳若かったからではない,揺れの性質が違うことを感じます。
この子の故郷は揺れている。東京なんかと比較にならないほど酷く。
七転び八起きの起き上がり小法師たち,揺れている街を,どうかどうか守ってください…。


會津とらぞう|飯盛山・白虎隊