2022年11月28日月曜日

私って法師だったのか

ミキちゃん (お人形教室)
Licca's younger sister Miki Chan (Liccachan Castle)



謎の美少女ミキちゃんとは無関係に「ぼっち」な話。
どら猫の「どら」を考えて思い出したのが,「ぼっち」の語源だ。


昨今いう「ぼっち」は言うまでもなく「独りぼっち」の略。
だが,この「独りぼっち」の「ぼっち」は何かという話。

「ひとりぽっち」とも言うので,
ぽつねんと存在する小さなもの「ぽっち」「ぽっちり」が由来ではと思っていた。

だが違っていた。
「一寸法師=背丈が一寸の人」「影法師=人の影・影の人」と同じ「法師」が由来。
「独り法師」で「独りでいる人」という意味になる。

「法師」は勿論仏教の言葉で,出家した僧侶を表す。
「独り法師」も元々は「ひとりほうし」という発音だった。
特定の宗派などに属さず独り彷徨い歩く法師のことだそうだ。
これがやがて「ひとりぼっち」になり,独りでいる人を指すようになった。

「ひとりぼっち」の「ぼっち」は「〜だけ」という意味の「ぽっち」と結びつき,
今では「ひとりぽっち」とも言うようになったとのこと。

ぼっちは法師なのだ。
私はぼっちでも平気だが,抵抗がある人も法師と思えば少し救われないだろうか。

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2 件のコメント:

  1. こんばんは、お邪魔致します。

    「趣味やプライベートの時まで、無理して他人に合わせなくてもいいや」と考えてしまうので、私も「法師」の一人です。(笑)世の中では集団に属し、皆んなと同じ事をしている方が安心できるという人の方が圧倒的に多いのでしょうけれど、「皆んなと一緒という安心感」より「無理して周囲に合わせるストレス」の方が勝ってしまうのです。

    趣味ではなくビジネスの話ですが、私はある方の言葉がとても気に入っています。
    「麓の太った豚になるな。頂上で凍え死ぬ狼になれ」(見城徹著 たった一人の熱狂)

    この本は「品が無い」とか「暑苦しい」など多くの批判も浴びています。確かにクールでスマートな姿を良しとする昨今の世情とは合いません・・・でも

    巨大資本が提供する安易なサービスや娯楽に満足し安穏と過ごす「飼われた豚」になるよりも、不便さや困難さに直面しながらも自分の力で理想を追い求める「孤高の狼」でありたい・・・という著者の気持ちに大きくうなずいてしまいます。
    ・・・まぁ、こんな事だから「ぼっち」なんですけどね。 (笑)

    失礼しました。

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    1. doll-modeler3 さま こんばんは!

       そうなのです「無理して周囲に合わせるストレス」が完全勝利してしまうのです私。やりたいことが山のようにあるというのに,無理して他人に合わせて過ごすなんて時間の無駄!と思ってしまって。決して人間嫌いとかではないのですけれど…。

       『たった一人の熱狂』ちょっとAmazonで見てみました。表紙からして大変な暑苦しさですね(笑)
       私は厳しいビジネスの世界では生きていけないし凍え死ぬ狼にもなれませんが,孤独など気にもかけず自分を貫く姿勢には共感できます。
       人生そんなに長くないし,他人に合わせて退屈している暇があったら,効率良くやりたいことをやって楽しく過ごしたい。これじゃ「ぼっち」が心地よくもなりますね。doll-modeler3さま,いつも遊んで下さってありがとうございます。

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