2024年4月1日月曜日

花を見る心も積み重なった歴史の上

2010えっくす☆きゅーと:5th anniv./あいか 髪色:ブラウン
2010 Excute 5th anniv./ Aika hair color:brown

あいかサマ。
新年度が始まるし,久しぶりにデフォの制服を着てもらった。
しかしカメラを忘れたのでスマホ写真…。

あいかゴメン…何かいつもあいかに謝っている気がする。


ウォーキングに使っている六義園。
枝垂れ桜が有名な庭園だが,今年は例年より随分遅れた開花だった。
この日は3分咲きくらい。例年だったら満開を過ぎた頃だ。

六義園では枝垂れ桜の開花に合わせて夜間開園してライトアップしたり,
いつも閉ざされている門が開いたりするが,今年は当初の予定が狂ったようだった。
枝垂れ桜が咲き始め,この日はかなり人出が増えていた。外国人観光客も多い。


あいかと花を撮りたいが,枝垂れ桜のあたりは人が多いので,松の花!
しかし裸子植物の花は風媒花だから地味だよねぇ。誰も撮ってない。


咲き始めていた山吹の花。
こちらは動物の目に留まりやすい美しさなのに誰も見向きもしてなかった。何故よ?


あいかさん桜と撮ってほしいかなと思って,一応枝垂れ桜の前にも来てみた。
まぁ確かに可憐だよねぇ。



冬の頃の六義園にはほぼ誰もいなかった。
賑わっていたのは,せいぜいご利益花壇や神楽を楽しむ年始だけ。
なのに,枝垂れ桜と紅葉の季節だけうんざりする混雑だ。
「花は盛りに」という兼好の言葉を思い出して,もっと渋い風情も楽しめよと思ったりする。

だけど,ふと思った。
もしも,兼好が「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」と言わなかった世界に生まれていたら,
私は果たしてそれを自分で思い付いて,盛りではない花を愛でることができただろうか?
できなかったのかもしれない。私は兼好の言葉に感動して真似しているだけなのでは。

『徒然草』は,成立から100年も後に正徹(室町時代の僧)が見出し,
『正徹物語』で「花は盛りに」の段を絶賛するまで世に知られていなかった。
それ以前の兼好は和歌の数寄者として知られていただけだった。
正徹は「花は盛りの時だけ見るものだろうか」と思えるような心を持つ者は,
世間に唯一人,兼好だけだ。この心は持って生まれた才能だと書いている。

やはり本来は,花は単純明快に盛りに見るものなのだろう。
そうではない花の美しさ。
花期ではない植物たちの美しさ。
ずっと昔にそれを見出した人がいて,
それを当然の教養として身につけられる場所と時代に生まれたから,
私は四季の世界を深く楽しむ術を身につけられたのだろう。

ありがたや。

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