2023年1月29日日曜日

表現による意識付け

毛糸のお人形
The old handmade dolls made with wool

帰省したら必ず撮って帰る毛糸っ娘たち。
撮影は彼女たちへの挨拶なのだ。
「元気にしてた?」「忘れてないよ!」の表現が,撮るという行為。




このところ『銃・病原菌・鉄』を読んでいる。
1997年刊行。今となっては少し内容が古いかもしれない。
だがユーラシア大陸系民族が世界の覇権を握るに至った理由を探るために,
1万年以上昔からの人類について多方面から考えていく手法はとても興味深い。

以前から私の興味の対象だった,
シマウマが家畜化できなかったことにも触れられていた。
ツェツェバエに屈しないシマウマの家畜化,
アフリカへ進出したい欧州人の悲願だったが,どうあがいても成功しなかった。

私がシマウマについて語り始めたら恐らく長くなるのでこのくらいにしておく。
今日書いておこうと思ったのは「l」と「r」のこと。

文字の歴史に関する項で,単語末尾の子音の表現を悉く省略した文字についての記述があった。
その文字体系では「lap」も「rap」も「lab」も「laugh」もみんな同じ綴りになっちゃうよ。
日本人が「l」と「r」を区別しないだけでもわかりづらいのに,って。


そう,よくそう言われるし,
私も英語のヒアリングで「l」と「r」を聞き分ける自信はバッチリだよとはとても言えない。
でも,実は日本人も「l」と「r」の音を持っていて使い分けているんだよ。
…と,ある英語ネイティブの英語教師が話しているのを聞いて目から鱗が落ちたことがあった。

「ラーメンを食べに行く」のラーメンは「l」で,
「あの店のラーメンは美味しい」のラーメンは「r」だと。
なるほど,何度口に出してみてもそうなる。
文頭の「ラ」は「l」に,文中の「ラ」は「r」になるようだ。

大和言葉に「ラ」で始まる単語が少なく,ラへの意識が薄かったのだろうか?
ともかく日本人はこの二つの音を区別して記述する必要を感じなかった。
区別して記述されなかったことで益々注意が払われなくなり,
明らかに異なる発音をしているのに,同じ音を出している認識になってしまった。
でも明らかに異なる発音でも,同じ単語なのだ。書き分ける方法はあるのか?

言葉が思考を規定するのはもちろんのこと,
言葉が文字になると,更に別の効果を生み出すのだなと改めて思った次第。
表現には限界があるのだ。話し言葉にも書き言葉にも。

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