2022年3月21日月曜日

迷彩服の兵士

Newジェニー(お人形教室)
Jenny Doll / new Jenny (Liccachan Castle)


ミリタリーを無邪気に楽しんでいられるのは平和が前提なのだ。
だが,世界的にニュースになっていないだけで紛争は常に起きている。
ウクライナはヨーロッパだから世界が注目し報道しているだけ。
世界は未だ欧米中心の世論に支配されている。
そう考えると無邪気に楽しめる時など人類には存在していない。

理屈では常々わかっている。
が,本当の戦場がどうだとかいう現実とは無関係に,
ミリタリー製品を「カッコイイ」と思う感性を持つ自分は確かに存在する。
否定しても仕方がない。存在するのだから。

一つは機能美への憧れなのだろうと思う。
命をかけた行動のために,無駄を省き機能を優先した製品の美しさ。
それは生物の美しさにも似ていると思う。
生物は生きることに特化している。生物は迷彩服だ。

あと,凄く認めたくないけれど,やっぱりあるのだろうか,闘争本能というの。
私は勝ち負けを競うゲームとかも嫌いだし(故にスポーツも興味ない),
比較的闘争本能のようなのは自分には少ないと思っているのだが,それでも?

ナショナリズムを高揚させ勝ち負けを競うオリンピックは,
戦争の代わりの捌け口だと思ってきた。
オリンピック私にとっては迷惑なものでしかないので嫌いだけど,
もしそれで戦争が回避できるなら文句言うの止めるのだが…。



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古典的名著の1節だけを1日憶えて刻む。
人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ。(ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧 新版』池田香代子訳)

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