1/12 Pico Excute / Wicked Style Aika
民間人が攻撃されるなんて国際法が明確な現代では起こらないなどというのは幻想だった。
考えてみれば同じ事が中国や中東で起こっても世界は放置だった。
クリミア併合を黙認した世界は力尽くを承認したようなものだった。
経済で支援しても軍事では誰も助けてくれない。日本は大丈夫なのか?
大丈夫とは思えない。不安だ。
避難民が通る道に地雷を埋め込み,避難させておいてそこを攻撃するロシア軍。
もうテロ国家としか言いようがないと思うわけだが,
ナチスドイツで起こったことを思いだし,ロシア軍兵士の心を思う。
人は環境に支配されて変わってしまうのだ。
特別弱い人がそうなるわけじゃない。誰だって可能性を秘めている。
私だって例外ではないのだ。
信じたくないけれど,特定の環境下にいれば平気で人を殺すようになるのだろう。
良い悪いなんて基準も時代と社会で正反対になったりするのだ。
絶対的な善も悪も存在しない。ただその社会の規範・価値観で決まる。
いつも BBC World でニュースを見ているが,
避難中に攻撃され家族全員が亡くなったと道端の子供を含む遺体が写っていた。
日本では絶対に流さないであろう信じたくない映像…。
定期的にこのような映像を見ることになるのが人間の世界なのだ。
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古典的名著の1節だけを1日憶えて刻む。
人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。(ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧 新版』池田香代子訳)
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