2024年6月23日日曜日

思い出はセピア色に

リカちゃんフレンド : パレットF<NO.03478>
Licca's Friend Doll / Palette F (Liccachan Castle)

うちではフランチェスカ(フラン)と呼ばれているパレットFさん。

初夏の日の夕刻の秋葉原,電気街口周辺。
コンデジの「トイカメラモード」ってやつで撮ってみる。


鮮やか過ぎるくらいに鮮やかな最近のスマホ写真を見慣れてしまうと,
刺激に慣らされたヒトの常として,「綺麗」と思われる写真はどんどん派手になっていく。
明らかにこれ彩度がおかしいよねと思う写真も見慣れてしまえば普通に見える。

デジタルになった写真は色褪せることもなくなった。
デジタル時代の思い出はセピア色にならないのだ。

だが色褪せてゆくことによって思い出は熟成され,優しい記憶に変化していた側面がないだろうか。

しかも,フィルム時代の1枚とデジタル時代の1枚には,天と地くらいの重みの差がある。
大量生産されるデジタル写真の1枚に込められた記憶の量は,
1本で24枚とか36枚しか撮れないフィルム写真の1枚に比べると,どうしても少ない。
フィルム写真1枚には,同じ時に撮った何十枚ものデジタル写真が束になって均衡が取れる感じ。

一度に沢山撮れるからこそ,微妙な角度の差に内在する変化が分かったり,
微妙なピントの差,微妙な配置の差で印象が変わることを発見できたりもする。
だからデジタルの素晴らしさは大いに認めるし享受したい。
ただフィルム時代とデジタル時代の写真は似て非なるツールのように思うのだ。


「トイカメラモード」でわざわざレトロ感のある絵図を作ってエモいと思うのは,
色褪せない大量生産のデジタル写真に,
擬似的でもいいからフィルム時代の熟成された記憶要素を付加し,
フィルム時代の写真が持っていた奥行きを体験したい要求なのかもしれない。

トイカメラモードが意外と好きな私はそんな考察をしてみたりする。





ほら,トイカメラモードで撮ると「あの日のフランちゃん」みたいな感じに見える。
「あの日」という特定の過去が想起されることにより,写真に奥行きがあるように錯覚するのだ。




ところでフランちゃんの髪ゴムが劣化して取れてしまった。
だいたい100均のシリコンゴムを使うのだが,100均が行動範囲にないのよねー…。

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