at National Museum of Nature and Science,Tokyo with Jenny friend doll Naomi.
上野の国立科学博物館で開催中の特別展へ行ってきた。
「明治150年記念 日本を変えた 千の技術博」
ゆっくり見たかったので平日に時間を作って行ってきたのだが,
盛りだくさんの展示をまともに見ていたら,途中で脚が限界に達し,
向こう臑がつりそうになった><
しばらく休憩スペースで休み,残りはほどほどに見ることに(涙)。
これだけ大きな特別展は,当日中は出入り自由にして
途中で会場を抜けて珈琲休憩くらいできるようにして欲しいものだ…。
途中から端折って見たにもかかわらず,
見終わるのに4時間ほどかかって,くたびれ果てて限界のヨロヨロ。
でもとても面白かったし刺激的だった。
開催期間は,2018年10月30日~2019年3月3日。
会場のエントランスにいた「鬼龍子(きりゅうし)」たち。
この展覧会の案内役だ。
伝説の霊獣で,かつては江戸幕府直轄の昌平坂学問所(お茶の水の聖橋の横)にいた。
そこで学問の進歩を220年見続けてきたのだが,
関東大震災で失われ,この展示のために復活したとのこと。
雨の平日に訪れたので,東京の博物館の特別展としては驚くほど人が少なく,
大きな展示物も離れてゆっくり写真を撮ることが出来てラッキー。
科博の展示は特別展も含めだいたい撮影可能なのだ。
死ぬほど写真を撮った(途中で満充電だった電池がなくなるほど)のだが
流石に全部載せていられないので,ほんのちょっとだけ載せておく。
キログラム原器レプリカ。
で,こちらはキログラム原器とメートル原器の運搬容器。
海に落ちても壊れない,重さ250kg以上の頑丈な容器に入れて運ばれたのだそうだ。
奥羽追討陸軍病院(白河口)の病院旗(1868年)
奥羽追討陸軍病院(平潟口)の病院旗(1868年)
戊辰戦争の頃から「病院」という言葉が使われ始めたのだそうだ。
帯締め用組ひも機。
織る様子はビデオで見られるようになっていたが,
ヨーロッパの五月祭で踊られるメイポールダンスのようだった。
お人形は載せておかないとね。
セルロイドの起き上がり人形(1950年代)。
私が子供の頃には見かけていたので懐かしい。
1813年~1843年の蚕の繭の標本。
まず,そんな昔の標本が存在することに驚いた。
横にあった現代の繭は体積にしてこの4倍くらいの大きさだった。
現代の蚕は人に飼われないと生きられないと聞くが
もの凄い品種改良の歴史があって生糸が存在するのだと
繭の標本を目の当たりにして実感した。
案内役の鬼龍子ちゃんが気に入って,ナオミさんやたら一緒に撮られる。
地震との闘いコーナー。
最古の地震振動装置(1929年)。
この装置を用いて建造物の地震に対する応答の解析が進んだ。
霞が関ビルが日本で一番高いビルだった頃,展望台へ連れて行ってもらった。
下を通る車がミニカーのようで感動したことを今も忘れない。
その後数多の高層ビルが建造されたけれど,霞が関ビルは私の中で今も別格。
当時は幼児だったので「高い」ってことに感動しただけだったけれど,
多くの研究と技術が結晶化した誇りの建物だったのだね。
鉱石ラジオとアンテナ。
先日ゲルマンラジオを作ったばかりだったし気になった。
ゲルマニウムラジオを作ってみた
というわけで,ざっと「明治150年記念 日本を変えた 千の技術博」の記録。
3月3日まで国立科学博物館にて開催中!
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