2025年2月7日金曜日

光の春

1/12ピコえっくす☆きゅーと/Snotty Cat ころん
1/12 Pico Excute / Snotty Cat Koron

晩秋のころんちゃん。
初夏の頃に紫陽花祭を見に行った白山神社にて。




今年は新年早々落ち着かない日々だった。
年末に帰省し実家の様々な用事をこなしてくれていた妹が,大晦日に39度を超える発熱をしたのが発端。
妹は即刻実家を去ったものの,正月2日に両親への感染がほぼ確実となった。

妹の症状からインフルエンザA型と思われたが,年末年始なので病院はやっていない。
高齢の両親の二人暮らしで,遠方の休日開業医への移動手段はない。
本当に危険な状態なら救急車という手段も残されているが,
高熱の高齢者がそれを思い付いてできるか怪しいし,家族は誰も近くにいない。

80代後半の高齢者で肺に基礎疾患を抱える母が41度を超える発熱というのは命取りの危機だ。
それなのに,私は遠方でただ心配することしかできなかった。
88歳の父は症状が軽くお腹が空いたと訴える。
彼は丈夫な質だが,認知症で生活力は皆無なのだ。
老老介護の実家は常にこういう危機を抱えているが,誰も両親の近くに住むことができない。
お弁当か何かを宅配で届けようとしても,実家のあたりは関東地方のように便利ではない。

どうにか病院が開く4日の朝まで両親は生き延びたが,母は他の病気の感染を恐れ病院に行きたがらない。
インフルエンザなら特効薬があるのだから何としても病院へ行って欲しいが,
電話に出てくれないしスマホメッセージも読んでくれない。
ただやきもきするしかなかった。

月曜日の6日になって両親共に病院へ行きインフルエンザの診断を受け薬を処方され,母の熱も下がった。
だが高齢者の場合,熱が下がれば安心になるわけではなかった。
それを母本人も私たち家族も思い知ることになった。

父はすぐに元気になったが母は体力が戻らず起き上がるのが難しかったのだ。
熱の後遺症なのか,背中も酷く痛んで動くのが辛いとのこと。
何とか食事の支度だけをこなし,あとは寝ている状態が10日ほど続いた。
あぁ話には聞いていたけれど,高齢者はこういうちょっとしたきっかけで寝たきりになってしまうのだ!
動けなくなって,芋ずる式に体力が低下し,体は不調に傾いていってしまう。

それでも日々少しずつは快方へ向かっているらしいことが希望だった。
2月になる頃にはスマホメッセージもできるようになり,昨日母は87歳の誕生日を迎えた。
後遺症は今月いっぱいは続くらしいが,危機は乗り越えられたという感じ。
今月に入って私もようやく安心感を得られた。
2月は光の春。2月の光が希望の光のような気持ちだ。


親が高齢になったからといって,今更自分の生活全てを捨てて地元に帰れるわけではない。
だからといって,高齢な親が70年に及ぶ人間関係を捨てて地元から離れられるはずもない。
核家族化が進んだ社会で,子どもは大人になったら地元親元を離れ都会へ流れて就職する。
そんな社会の流れのままに生きた結果が今の状況だ。
いつの時代も現状に社会制度が追いつくには時間がかかる。
社会の仕組みや法制度の歪みの中で右往左往して何もできずにいるのが自分なのだと思う。

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