2018年9月3日月曜日

ゼロとイチの世界で小鞠ちゃん

Non Non Biyori smartphone stand figure Komari Koshigaya.
 
 にいてんごSS 越谷小鞠スマホスタンド
 ラズベリードリームな小鞠ちゃんを撮ったので,今度はデジタルスペースの小鞠ちゃん。
 
 
 後ろに表示されてる数字は部屋の二酸化炭素濃度。
 ラズベリーな小鞠ちゃんの記事でもちょっと書いたが,Netatmo(ネタトモ) ウェザーステーションというスマホ対応気象観測装置を使って測定し,ネット経由でここに数値を表示させている。
 その上,二酸化炭素濃度が2000ppmを超えるとTwitter経由でパソコンが警告の呟きをし,濃度が下がると「下がりました」と呟いてくれるようにしてある。そうやって,私は日々の二酸化炭素濃度を楽しんで(?)いる。
 
 
 最近アシモフの作品を読み直しているのだが,この大SF作家の作品でさえ今の時代に読むと,とても古くさく陳腐に見えてしまうことに驚いたりがっかりしたりして,理由は何なのだろう,SFってどんな作品のことだろうと考えた。
 アシモフの作品を読んで,20年前の私は古くさいとか陳腐とか思わなかったのだ。
 
 平成も終わろうとしている2018年は,小学生の頃に思い描いたような未来ではなかった。
 その頃思っていたように,飛ぶように走る車が通る透明チューブが街中をぐねぐねと通っていたり,ロボットっぽい家電が家の中を支配したりしているわけではなかった。
 でも,実はやっぱり凄い未来だ。
 
 だって,自分の家の二酸化炭素濃度をネット経由で部屋に表示させ,音声が濃度上昇を警告してくれるなんて,昔は考えられなかった未来っぽいことではないか?
 個人がちょっと趣味でやれる程度の金額でそれができるなんて!
 
 やってきた未来の変化は,街の見た目の変化のような派手なことではなく,誰もがスマホを使って人と繋がり情報を得ているような,地味だけど社会のあり方を覆すほどの画期的な変化だった。
 ネットで変化してしまった今の常識でそれ以前のSFを読むと,社会インフラに大きな違和感を感じ,古くさく思えてしまうのだという気がする。
 
 
 昨日一日かけて,20年前に製作された『serial experiments lain』というアニメを見たのだが,これが凄いハードSFだった。
 リアルがネットに浸食されていくのは,実は今の社会の状況そのまま。
 ネットの中で,なかったことがあったことになり,現実がネットに書き換えられていく。
 夢物語や陰謀論ではなく,本当に架空のエージェントが活動しているいま。
 20年前,丁度私がWWWに接続しホームページを立ち上げた年だが,その頃にこんな未来を予見するような作品が作られていたとはね。
 
 「ネットの海は広大だわ」という草薙素子の声が,どこかから聞こえてくる気がする。
 

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