2024年11月26日火曜日

ジンが誘う1984年

ミキちゃん (お人形教室)
Licca's younger sister Miki Chan (Liccachan Castle)


甘い飲み物は苦手なので,ジュース類は飲まない。
珈琲はブラックしか飲まないし,紅茶もストレート。
紅茶は生姜ティーの時だけミルクを入れてチャイにする。

お酒もカクテルは苦手。
白ワインは辛口が良いし,赤ワインは思いタイプが好み。
ウィスキーやウォトカ,ジンは,チェイサーと共にストレートで飲む。

パブで唯一たまに飲むカクテルはジントニックだ。
大学生の頃たまに一人で訪れていたお店のママにお勧めされて,
初めて飲んでみたカクテルがこれで,その時美味しいと思った思い出補正。
奇しくもあれは,1984年のことだった。



ジンを飲むと私が必ず思い出すのがジョージ・オーウェルの『1984年』。
主人公ウィンストンは品質の悪いジンを安定剤のように体に流し込んでいた。

『Nineteen Eighty-Four』は,ハヤカワ文庫の旧版『1984年』(新庄哲夫訳)を2回読み,
ハヤカワ文庫の新版『一九八四年〔新訳版〕』(高橋和久訳)を1回読み,
先日,角川文庫の『1984』(田内志文訳)を読んだところだ。

現代社会の変化や自分の変化により感じ取れることが変わるし,
訳によっても異なった印象を受け取れるから,たまに読み返したくなるのだ。
難解ゆえに何度読んでも発見がある。
SFに分類される作品だが,人間という存在を掘り下げた哲学書のように思う。


自分はこうならないと思っても,そんな意思など集団の力で木っ端微塵になる。
人はどこまでも変われる。
それを読書体験を通じて感じる機会は意外と度々ある。

『1984』を読むと,恐ろしいことに,そして不思議なことに,
主人公のウィンストンの体験が自分のもののように思える瞬間が何度かある。
その怖さの正体を確かめたくなると,読み返している気がする。

語彙の減少により人々の熟考の力が弱められていく世界。
言葉狩りって安易にしちゃいけないのでは。
多様性といいつつ,ある種の不都合な多様性は認めないのが今って気がしている。

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